あっちょちゃんに怒られた。
ごめんね。
もう心配かけないからね。
俺結婚するんだからもっとしっかりするよ。
だいじにする。
ほんとだよ。
愛してるよ。
2007年9月30日日曜日
2007年9月29日土曜日
E藤ちゃん送別会
2007年9月27日木曜日
2007年9月25日火曜日
チャリ通
2007年9月24日月曜日
2007年9月23日日曜日
2007年9月21日金曜日
2007年9月18日火曜日
大事な試合に負けちまった
ショートバケーション中日の土曜日、
とても大事な試合があった。
とりあえず今期当たる相手チームの中で
最も強いと思われるチームとの対戦だ。
天候はよく晴れていてこの日もかなり暑かった。
昨晩ウコンの力も飲んだし体調はすこぶる良い。
入念に準備を済ませ、いざ試合。
第1クォーターから娘婿候補のN山君の走りが炸裂しTD。
生まれて始めてのトラポンを蹴りいれて7対0とリードした。
そのまま前半を折り返し勝ちムードが漂う。
後半に入り俺とS治を筆頭におっさん達は疲れの色を隠せない。
残念ながら第4クォーターに逆転されそのままタイムアップ。
今年の優勝はなくなり、消化試合を残すのみとなってしまった。
写真:awesome footballerさん
まあ人数が少ないとはいえ体力的に自分は負けていた。
非常に残念だがD樹が来ていればと思うと少し残念。
それから焼肉やまだで肉をシバキながら戦犯探しを
するようなつまらない飲みになっちまった。
ん~残念!
2007年9月14日金曜日
ショートバケーション
昔はロンバケとバケ放題の日々を過ごしていた
俺にとっては久々のバケーション。
だが溜まっている私用を片付けなければいけない。
ありがたやショーバケ。
子供の頃、住んでいた家に用事があり久々に行った。
物置と化している家はどことなく寂しそうだ。
そこに幼い頃の俺がいた。
幼い俺は驚くほど小さい。
誰も住む予定もないので近々取り壊す予定の家だが、
この壁はちょっぴり愛しかった。
休みならではのグッドタイミングでK平からの電話。
いつものように焼肉やまだに行くと満席にて御免され
兄弟店の焼肉たむらに行くと無事座れた。
久々に会ったたむらのママが、
全然こっちに来てくれないじゃないですか~とのこと。
あれ?俺人気者?
通常五名でジンロ一本サービスのところ
ママの計らいで二人で一本のサービス!
仁義なき引き抜き。
ご馳走様です!でも二人で飲めるかな?
皆さん上野広小路焼肉たむらもよろしく。
最近の俺の不祥事のことや色々なこと。
K平の会社への不満など近況を話し合う。
K平もブログを始めるとのこと。
すっかり話しに熱くなって気がつくとこれだ…
とりあえず次の試合は見に行くからな。
あとご馳走様。次回で…
2007年9月12日水曜日
夜回り先生
夜回り先生、水谷修氏のことはTVを通じて知っていた。
こんな記事を見かけ再び彼に興味を持った。
以下引用 オーマイニュースより
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■1991年7月31日、20才の渡辺類子さんはレイプされた。
その日、彼女は大学の友人から、合コンに誘われていた。人数をあわせのため仕方なく参加した。
飲み会が終わると、参加者のある男が、遅くなったからと家まで送ってくれた。夜11時過ぎ、自宅近くの井の頭公園(東京・武蔵野市)を歩いていると、突然その男が襲いかかってきた。抗ったが男の力に勝てない。処女だった。何が起きているのかわからない。
どのくらい時間が、経ったのだろうか。たまたま通りすがった人が「何をしているんだ!」と声を上げた。その隙に、彼女は起きあがった。襲った男は、水色のスカートが血で染まっているのを見て「はじめてだったのね」と言う。必死に逃げると、「パンツ忘れているよ」と言いながら追いかけて来た。
自宅に着くと、家族はすでに寝ていた。シャワーを浴びた。
次の日、家から一歩も外に出られなかった。誰にも相談できない。警察に届けるという発想もなかった。母親から「大学に行きなさい」といわれる。しかし、その男に再び会ったらと思うと外にも出られない。
東京に、いられなくなった。大学に休学届を出し、北海道に行った。アルバイトをしながら生計を立てた。が、1年後過労で体を壊し、東京に戻った。しかし、精神的に不安定になり、売春を繰り返し300人以上の男と寝た。どうでもよかった。避妊もせず、自暴自棄になっていた。
しかし、微かな光があった。たまたま参加したパーティーで、ある男性と出会った。意気投合し、共に暮らすようになる。レイプのことを話すと、男性は「男として謝りたい」といった。誠実な人柄。性の喜びを教えてもらった。
しかし、悲しみは癒えない。毎晩、包丁を手にリストカットを続けた。もう死にたいと思った。愛する人に見守られながら。部屋で、首を吊った。止めないという約束だった。意識は飛んだ。最後の最後で、彼は助けた。
レイプされてから14年後の2005年、大きな転機が訪れた。
たまたま「夜回り先生」の本を手に取ったのだ。「夜回り先生」と呼ばれる、元高校教師である水谷修さんは、深夜の繁華街で少年少女たちの悩みを聞いている。
先生の本では、売春もリストカットもすべていいんだよという。全てを肯定する姿勢が、そこにはあった。唯一駄目なのは、死を選ぶことだけ。今まで、否定してきた自分が許された気がした。
水谷さんにメールを送ると、すぐに返信があった。そこには住所や電話番号があった。この人は、本気で向き合おうとしている。希望へとつながった。
自分の力を信じてみよう。1人で悩んでいる人がいれば、1人ではないと伝えたい。
それからしばらくして、レイプ撲滅を掲げる運動を始めた。高尾山に108日間、連続登山をした。サンタークロースの格好で、レイプ撲滅のプラカードを背負った。山ですれ違う人に、レイプ撲滅のことを話した。
mixiで「るいるいサンタ☆さん」と名乗り、その活動を紹介した。
するとレイプ被害者から連絡が来るようになった。渡辺さんは「出口のないトンネルにも必ず光はある。それを信じて一緒に生きていこう」と伝える。
2006年の冬には、福岡から東京まで、移動しながら、レイプ撲滅を街頭で訴えた。何人もの被害者に会い、ともに泣いた。
今年36才。傷は癒えているわけではない。
2007年5月。自宅に不法侵入され、恐怖でレイプのときのことを思い出しリストカットをした。右手には今も赤い傷跡が残っている。
(記者:金谷 俊秀)
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この女性が良いとか悪いとかは言うつもりはない、
でも苦しんできたことだけは間違いない。
精神科にかかるような病気を持つ人を、
その病気を持たない人は理解できない現状がある。
たとえば風邪を引けば誰でも一度は経験したことがあるので
その病気の辛さ、苦しさなどは容易に理解できる。
精神病を患っている友人は何人かいたし、
ついつい判っているつもりになってしまう俺がいる。
俺の悪い癖だ。
風邪のように引いたこともないのに、どう理解できようか?
理解できるはずなどない。
学生のとき友人の彼女が交通事故で死んだ。
その時は気安く元気出せよな…なんて声を掛けた。
でも夜になって怖くなった。
彼の気持ちなんて判る筈もないのに軽口を叩いた自分に後悔した。
それから十年以上経つが彼の気持ちは未だに理解できず、
そのとき叩いた軽口を後悔している。
話は戻るが精神を患っている人の気持ちは理解できない。
でも最近、理解できないが受け入れることはできるようになった。
結局、当人ではなく経験したことがない自分がその病気が怖いから、
その病気がもたらす何かがものすごく怖いから、
見ないふりをしたり、怒ったりしてしまう。
病気を認める
相手を認める
その原因を探す
そこから逃げない
未来を諦めない
夜回り先生、水谷修氏の本にはそんなことが書いてある。
というのを今日知った。
もっと早めに読んどけば良かった。漫画も出てるから是非どうぞ。
これから子供を授かるであろう俺は
そんな話を思春期にしてやりたいと思った。
2007年9月11日火曜日
鉋(かんな)
鉋もここまでくると芸術品だ。
美しく鍛えられた二枚刃に、寸分の歪みもない台座。
鉋の世界にも違いがあるそうで、
日本の鉋は引いて使うのに対して、
中国、西洋の鉋は押して使うのが主流だ。
特に西洋の鉋は古いものから微妙な調整を
ネジを緩めたり締めたりして調節するものが多い。
素人にも扱いやすい設計になっている。
それに対して日本の鉋は横を叩くことで
刃の削れ具合を調節する。
初めて扱う素人には全く使いこなせない。
この写真の鉋はたいそう名のある方が
作成したものらしく値段は付けられないとのこと。
言い方に語弊があるのかもしれないが、
使いこなせる人ではないと譲れないということ。
そんな鉋があること知らなかった俺だが、
その鉋を手にしてみると確かに雰囲気が違う。
只者ではない、その鉋が俺に話しかける…
おい、ボウズ!その腕で引いたら後悔するぞ…と。
せっかく目の前に最高の鉋があるのにも関わらず、
その良さを実感できるまでには
あと20年くらいかかっても無理なことは明白である。
鉋台: 耕木杜
鉋刃: 中屋平治
2007年9月10日月曜日
怒涛の週末3連荘
2007年9月7日金曜日
思い通りにならないこと
この花。
なかなかお目にかかれるものでは無いと前々から聞いていた。
花の名前はすっかり忘れてしまったが、
とにかく咲いていれるのに出会えれば、
ラッキー的な花として紹介されていた。
アンデスの山を歩くこと2日、この花に偶然出会うことができた。
幸運だし、出会うべくして出会ったのかもしれない。
人の出会いもそうなのかもしれない。
逢いたい。ものすごく逢いたい…
と、思っていても状況がそれを許さなかったり
相手のおかれている状況で
逢いたいから逢えると言うものではない。
でも、全く違うことを望んでいても
逢えるときは逢える。
神の悪戯なのか、念の強さなのかはどっちでもいい。
ただ重要なのは逢いたい人に逢えることである。
そうでなければまだなのだろうし、
そうであればその時なんだと思う。
2007年9月6日木曜日
今にも爆発しそうな電池
2007年9月4日火曜日
事件は今、うちの下で起こっているんだ!
朝方早起きした。五時頃だろうか?
早起き君の俺はパソコンの前に向う。
暫くすると女性の悲鳴が聞こえた。
暫く続くのでカーテン越しに下をみると、
”やめてくだい!”と叫ぶ女性。
バッグを取り合っている様子だった。
すると坂の上から歩いてきたサラリーマンに
女性が助けを求め始めた。
”バッグを取られたんです。助けてください!”
俺を含めてその場に5人いた。
助けを求める女性。
助けを求められているひ弱そうな男性。
もう一人約10m位の位置にいる坂を下って駅に向うサラリーマン。
バッグをひったくって坂の上の方に歩き出す金融屋風の男性。
そして寝ぼけ眼で目の前の状況が把握できない俺。
もう一度女性が叫んだ…”助けてください”
…ここまでは、ひったくった男以外は
痴情のもつれくらいにしか思っていなかった。
ところがだ……突然、金融屋風の男がダッシュ!
全く当てにならないサラリーマンを諦め
同じく坂上の方にダッシュする女性。
こら、やばいとあわてて短パンを穿く俺。
何事もなかったように駅に向うリーマン2人。
急いで下に降りたがもう二人とも見えなかった。
もちろんサラリーマンも。
うーん、この状況。
痴情のもつれと言うことで自分の中では解決……
というわけには行かなかった。
約一時間後、覆面を含めパトカーが約8台。
捜査員の数も約30人位が一斉に現場検証を始めた。
女性に心の中で謝りながら、
まあしょうがねーよと思うことに徹した。
本日、会社帰りに立看板を発見。
”事件を目撃した方、連絡ください。”
で、とりあえず最寄の警察署に連絡。
でも、顔見てないのよ俺。
とりあえず女性が悲鳴を上げたら状況を
聞かなくてはいけないと感じました。
見た目で判断しちゃいけないね。
反省…
2007年9月3日月曜日
夏休みと引越し
今日は3階の新オフィスの事務所開きだった。
会社の俺のデスクは2階から3階に移った。
いつものように2階に行って仕事をし始めると、
小ボスから電話。”みんなまってるよ~”
急いで3階に行き事務所開き開始。
無事終了。
10:30から打合せ。
アイセックという外国人を日本の企業に研修生として
送り込む非営利団体だ。
11:30から会社内打合せ。
これからの会社の方向性などを打ち合わせる。
それから新PCの環境設定を始める。
上司のT塚さんのPCの環境もあわせて整える。
それから通常業務。
新PCの調子はすこぶる良く、新しいオフィスも実に快適だ。
会社は俺以外皆出てしまったのでひとりポツンと広いオフィスで仕事。
最後まで言えなかったが1ヶ月以上前から
試合の次の日の夏休みを申請していたことに
大ボスは最後まで気づいていないようであった。
若干二日酔いで体中痛い俺は一人寂しく家路に付いたのであった。
酒飲み日本代表vs韓国焼肉戦
楽しみにしていた日曜日の試合。
曇りの予報だったが快晴…暑い。
朝方レッスルに車で迎えに来てもらいセクの家まで
レッスルの道具を借りにいく。
天王洲アイルの報知新聞の隣のドデカいマンションにセクは住んでいた。
さっすがエリート商社マン。セクにお礼をいい、いざ川崎球場へ。
学生最後の試合をこの球場でプレーした思い出深い球場だ。
ブライアントがホームランを打ち、村田兆治が剛速球を
投げていたころとはまったく違う球場になってしまった。
また最近ワールドカップが行われたので、スタンドは高くなり
芝生のスタンドもやや大きくなった。いいグランドだ。
クラブハウスも大変立派なものに立て替えられていた。
さて試合前ウォームアップ!
前日までポジションは決まっていないのんきな展開だったが、
この日はN尾が最初に打診してきたのでSSをやることになった。
ジムとビリーのおかげで体がだいぶ軽い。
最初のプレーでロスタックル!ごっつあんです。
※写真引用 Awesome footBallerさん
S治の活躍もあり前半はディフェンスはピンチというピンチはなく、
ファーストダウンもほとんど取らせないまま完封。
12年ぶりにプレーするレッスルもハッスル。
スピンなどを見せ軽快な動きだったが如何せん
オフェンス自体のリズムが悪く無得点に終わる。
後半に入りQBH君の足がつったため急遽QBで出場。
ゴール前1ヤードまでもって行き、
娘婿候補NO.1のN山君に持たせ見事タッチダウン!
残念ながらTFPは外してしまったが6点を先制!
H君の状態がよくなり再びSSで出場。
試合終了まであと僅かとなり、相手にゴール前まで攻め込まれる。
相手の4ダウンギャンブルでのパス攻撃を
インターセプトし、ここで勝負あり。
何とか6-0で辛勝することができた。
さて試合!
川崎のコリアンタウン(焼肉街)に出動。
彼女ら美女三人が応援に来てくれていたので、一緒に試合参加。
K月をはじめ、若手も参加し楽しい試合となる。
M田君の話を聞き若いなりの悩みがあるのだなあ、と関心。
敵であるジンロをレモン割り、お茶割り、緑茶割り
などで次々となぎ倒していった。
すっかり出来上がったが、DEA(麻薬取締局)捜査官であるレッスルが
一滴も飲んでないことが分かり上野で2試合目を慣行。
こりもせず焼肉食った後に、焼肉やまだにて第2試合に突入!
レッスルも車を置いてきたので試合参加開始。
途中、記憶があまりないがとにかくたらふく飲み倒した。
ママも呆れ顔で見てたことはよく覚えている。
しかし焼肉やまだは旨い。川崎メじゃないね。
というわけで、酒飲み日本代表試合vs韓国焼肉戦ダブルヘッダーに
2戦とも完勝したのでありました。