2007年9月12日水曜日

夜回り先生

夜回り先生、水谷修氏のことはTVを通じて知っていた。

こんな記事を見かけ再び彼に興味を持った。


以下引用 オーマイニュースより
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■1991年7月31日、20才の渡辺類子さんはレイプされた。

 その日、彼女は大学の友人から、合コンに誘われていた。人数をあわせのため仕方なく参加した。

 飲み会が終わると、参加者のある男が、遅くなったからと家まで送ってくれた。夜11時過ぎ、自宅近くの井の頭公園(東京・武蔵野市)を歩いていると、突然その男が襲いかかってきた。抗ったが男の力に勝てない。処女だった。何が起きているのかわからない。

 どのくらい時間が、経ったのだろうか。たまたま通りすがった人が「何をしているんだ!」と声を上げた。その隙に、彼女は起きあがった。襲った男は、水色のスカートが血で染まっているのを見て「はじめてだったのね」と言う。必死に逃げると、「パンツ忘れているよ」と言いながら追いかけて来た。

 自宅に着くと、家族はすでに寝ていた。シャワーを浴びた。

 次の日、家から一歩も外に出られなかった。誰にも相談できない。警察に届けるという発想もなかった。母親から「大学に行きなさい」といわれる。しかし、その男に再び会ったらと思うと外にも出られない。

 東京に、いられなくなった。大学に休学届を出し、北海道に行った。アルバイトをしながら生計を立てた。が、1年後過労で体を壊し、東京に戻った。しかし、精神的に不安定になり、売春を繰り返し300人以上の男と寝た。どうでもよかった。避妊もせず、自暴自棄になっていた。
 
 しかし、微かな光があった。たまたま参加したパーティーで、ある男性と出会った。意気投合し、共に暮らすようになる。レイプのことを話すと、男性は「男として謝りたい」といった。誠実な人柄。性の喜びを教えてもらった。

 しかし、悲しみは癒えない。毎晩、包丁を手にリストカットを続けた。もう死にたいと思った。愛する人に見守られながら。部屋で、首を吊った。止めないという約束だった。意識は飛んだ。最後の最後で、彼は助けた。

 レイプされてから14年後の2005年、大きな転機が訪れた。

 たまたま「夜回り先生」の本を手に取ったのだ。「夜回り先生」と呼ばれる、元高校教師である水谷修さんは、深夜の繁華街で少年少女たちの悩みを聞いている。

 先生の本では、売春もリストカットもすべていいんだよという。全てを肯定する姿勢が、そこにはあった。唯一駄目なのは、死を選ぶことだけ。今まで、否定してきた自分が許された気がした。

 水谷さんにメールを送ると、すぐに返信があった。そこには住所や電話番号があった。この人は、本気で向き合おうとしている。希望へとつながった。

 自分の力を信じてみよう。1人で悩んでいる人がいれば、1人ではないと伝えたい。

 それからしばらくして、レイプ撲滅を掲げる運動を始めた。高尾山に108日間、連続登山をした。サンタークロースの格好で、レイプ撲滅のプラカードを背負った。山ですれ違う人に、レイプ撲滅のことを話した。

 mixiで「るいるいサンタ☆さん」と名乗り、その活動を紹介した。

 するとレイプ被害者から連絡が来るようになった。渡辺さんは「出口のないトンネルにも必ず光はある。それを信じて一緒に生きていこう」と伝える。

 2006年の冬には、福岡から東京まで、移動しながら、レイプ撲滅を街頭で訴えた。何人もの被害者に会い、ともに泣いた。

 今年36才。傷は癒えているわけではない。

 2007年5月。自宅に不法侵入され、恐怖でレイプのときのことを思い出しリストカットをした。右手には今も赤い傷跡が残っている。

(記者:金谷 俊秀)

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この女性が良いとか悪いとかは言うつもりはない、

でも苦しんできたことだけは間違いない。


精神科にかかるような病気を持つ人を、

その病気を持たない人は理解できない現状がある。


たとえば風邪を引けば誰でも一度は経験したことがあるので

その病気の辛さ、苦しさなどは容易に理解できる。


精神病を患っている友人は何人かいたし、

ついつい判っているつもりになってしまう俺がいる。

俺の悪い癖だ。


風邪のように引いたこともないのに、どう理解できようか?

理解できるはずなどない。


学生のとき友人の彼女が交通事故で死んだ。

その時は気安く元気出せよな…なんて声を掛けた。

でも夜になって怖くなった。

彼の気持ちなんて判る筈もないのに軽口を叩いた自分に後悔した。


それから十年以上経つが彼の気持ちは未だに理解できず、

そのとき叩いた軽口を後悔している。


話は戻るが精神を患っている人の気持ちは理解できない。

でも最近、理解できないが受け入れることはできるようになった。


結局、当人ではなく経験したことがない自分がその病気が怖いから、

その病気がもたらす何かがものすごく怖いから、

見ないふりをしたり、怒ったりしてしまう。



病気を認める

相手を認める

その原因を探す

そこから逃げない

未来を諦めない


夜回り先生、水谷修氏の本にはそんなことが書いてある。

というのを今日知った。


もっと早めに読んどけば良かった。漫画も出てるから是非どうぞ。


これから子供を授かるであろう俺は

そんな話を思春期にしてやりたいと思った。

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